宗教法人妙音院

各種ご祈祷・ご供養(おもちゃ供養)は、千葉県館山市の高野山真言宗 妙音院へ

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境内案内

妙音院の境内・文化財をご紹介いたします。

妙音院の境内案内

  • (1)手水鉢

    手水鉢

    安政2年(1855年)に上真倉の人々が寄進したもの。
    当時の住職の名と世話人の中に大檀那の杉田性がある。




  • (3)本堂跡(仮本堂)

    本堂跡

    現在の仮本堂はもともと本堂があったところで、間口8間、奥行6間あった本道は大正の震災で倒壊した。その後、檀信徒の協力で現在の釈迦堂の所に仮の本堂を立て復興されたが、太平洋戦争のとき仮本堂・庫裡・諸堂を焼失してしまい、再建されないまま現在に至っている。現在の仮本堂には本尊の如意輪観音を中央に、向かって右に弘法大師、左に不動明王が祀られている。

  • (5)仮薬師堂(旧鐘楼)

    仮薬師堂(旧鐘楼)

    鐘楼は昭和20年3月の空襲で茅葺の屋根が被焼し、梁や桁は黒くこげたが焼け残った。それを薬師堂に改造し江戸に作られた銅造の薬師如来坐像が安置してある。安房国薬師如来霊場西口4番礼所で、寅歳と申歳の10月にご開帳されている。

  • (7)稲荷大明神(天神様)

    稲荷大明神(天神様)

    境内北西山麗のやぐらの中に石宮が安置され「稲荷大明神」と呼ばれています。石宮の蓋には梅鉢紋があり、中には公家風の坐像が納められています。石宮の側面には、23世住職以豊(いほう)が発願主となり、筆弟子達が助願となって、 嘉永5年(1852年)2月25日の950回忌に筆恩を感謝して建立したことが刻まれています。この日は、菅原道真が逝去して950回忌にあたることから、この像は天神様と思料されます。 しかし、それがなぜ稲荷大明神と呼ばれたかは不明です。

  • (9)杉田家の墓

    杉田家の墓

    住職の墓よりも一段高い奥に墓所が位置する杉田家は、妙音院の大壇那だった。先祖累代の墓が荒れているのを嘆いた杉田佐伝治と惣左衛門が、昭和5年(1930年)に整備・供養したもの。明治以降の杉田家の墓は近くの十王堂にある。

  • (11)薦野家の墓

    薦野家の墓

    里見義弘の子で、薦野神五郎頼俊と称した人物は、2524石余の知行地を持つ里見家一門衆で合った。その子孫の墓地とされ、真倉に住む薦野家末裔が守っている

  • (13)地蔵尊

    地蔵尊

    台座の中央に「本尊地蔵大菩薩」とある。地元の地蔵講か念仏講が安置したもので、20余名の講中の名がある。「先祖代々」や「清幼童子」などの供養がされている。

  • (15)熊野大権現

    地蔵尊

    当院の境内珍種である熊野大権現は、八十八ヶ所霊場の裏の方に祀られていたが、昭和15年現在の地に移された。5月の火渡りでは、護摩修行の無事を祈って社前でお祓いをする。社殿の前に嘉永元年(1848年)に奉納された手水鉢がある。

  • (17)石柱

    石柱

    地蔵尊を載せた2本の石柱に(地蔵尊と石柱は時代が違う)、館山・千倉・鋸南・富浦等の信者の名前と金額が刻まれている。目的・年代は記されていないが、階段を作った時の寄付と思われる。

  • (19)安房高野山八十八ヶ所霊場

    安房高野山八十八ヶ所霊場

    明治28年(1895年)、上総国の前羽覚忍という一老婆の発起により、24世住職山縣敞暹の勧進が始められた。近隣の多くの檀信徒から浄財の喜捨を受け、翌年高野山々主を招請して開眼した。しかし終戦前の空襲で寺は焼け、88体の尊像も苔むし草深く埋もれてしまったが、昭和58年に宮城県人会と檀信徒により修復された。この裏山の霊場には八十八ヶ所に弘法大師の像が祀られているが、「褌祝」「結婚」「女の大厄」「男の大厄」など人生の節目節目の表示がされている。また、1番の前に人生の出発点となる出生門があり、弘法大師の尊像も祀られている。34番の身代大師は、88対のうち唯一業者姿。88番には、彫物師後藤利兵衛義光の名があり、波の彫刻が施されている。そのほか波の彫刻のある3番も義光作といわれている。

  • (2)柴燈護摩壇

    柴燈護摩壇

    仮本堂の前にある石柱が柴燈護摩のご本尊の不動様で、前面に不動明王を表す梵字と野外の護摩法要である「柴燈護摩壇」の文字がある。大正15年(1926年)4月に建立され、その頃に柴燈護摩が行われていたことがわかる。当院の柴燈護摩は現在、正月の第3日曜日と5月の第4日曜日に2回で、5月は火渡りも行われる。

  • (4)伊藤思楽句碑

    伊藤思楽句碑

    館野村腰越の伊藤林蔵が、梅・桜・南天を寄贈したときの記念碑。思楽の号にて句が刻まれている。明治37年(1904年)3月に建てられた。翌年66歳で亡くなっている。



  • (6)釈迦堂(回向堂)

    釈迦堂(回向堂)

    震災後の仮本堂を建てたところで、回向堂と呼ばれていた。厨子の中に釈迦如来、左右に脇仏として阿弥陀如来・普賢菩薩・文殊菩薩が祀られ、泉慶院にあった薬師如来も祀られている。

  • (8)薬師堂跡

    薬師堂跡

    仮本堂左手奥石垣の上に薬師堂があった。礎石と思われる石が2基と近世初頭の石灯篭の反花座1基が残されている。薬師堂は江戸時代建立の銅像薬師如来像を祀った三間四方の堂だったという。老朽化で倒壊し、震災後建てられた仮本堂に像を安置した。現在は焼け残った鐘楼堂を仮薬師堂に安置されている。


  • (10)尊勝塔

    尊勝塔

    杉田家の墓の右脇にある。仏頂尊の功徳を説く、尊勝陀羅尼経が三面に刻まれている。享保2年(1717年)に杉田宗左衛門夫妻の発願で修復・開眼供養された。


  • (12)住職の墓域

    住職の墓域

    寛永4年(1627年)から昭和37年(1962年)までの歴代住職の墓が15基並んでいる。

  • (14)不動尊2体

    不動尊2体

    八十八ヶ所霊場への階段に浪切不動(右側)と不動明王坐像(左側)が置かれ入り口を鋭い目線で見つめている。明治30年、高村光雲門人で郷土の石工俵光石の作。

  • (16)七福神

    (16)七福神

    7人の福徳の神、大黒天・恵比寿・毘沙門天・弁財天・福禄寿・寿老人・布袋を祀る。昭和58年、荒れていた八十八ヶ所の霊場を市内宮城県県人会や地域檀家などが修復したときに、新たに祀られた。


  • (18)船乗地蔵

    船乗地蔵

    船べりに「朝夷郡平舘区大師講中」と刻まれているが勧進帳には「東京市浅草区大乗院住職守屋大鴨」とある。 八十八ヶ所めぐりを始めるにあたり、道中の安全の祈念して奉納されたのだろう。

  • (20)吉野桜百本植付記念碑

    吉野桜百本植付記念碑

    明治32年(1899年)、東京の新井善司と鳥居半右衛門が桜百本を植樹した記念に建てた。その後、当院は桜の名所として知られるようになり、民謡「館山小唄」でも「春は妙音院どころ・・・」と歌われるほどの賑わいになった。

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